あのときのポップコーン

思い出、ポエム、ジャンル俺

買うこと・手放すこと

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先日の記事では「ツイッターを制限する」についてお話したが、今回は「収集したものの多さ」について語っていきたいと思う。

私はキャラクターグッズをよく買うタイプのオタクであり、またフィギュアも人形も大好きだ。

学生の時はとにかく貧乏で、バイトも学業も両立できなかったタイプだったため、イベントバイトや学校での教員補助などのバイトで稼いでいた。そのため、買えるものは少なく「この単価一万円の単発イベントアルバイトを二回やればホットトイズのフィギュア一体買えるな」といった感じで厳選してセーブが出来ていたのだが、社会人になってからは嫌でも毎日働くため、貯金を含めても金銭的に多少は余裕が生まれる。そのため「まあ稼いでるからいっか」的な思考になっていき、軽率にグッズを買っていった。

そうなると買えば買うほど家の収納スペースと床は埋まっていき、部屋がごっちゃりとしてしまうのである。

キレイに飾ったり、コレクションできればいいのであるが、残念ながら中途半端に意識が高く大雑把な性格なため、グッズは箱にどっさりとしまわれ、フィギュアはごく一部しか飾られていない(それでもIKEAのデトルフに並べているので床に直置きとかよりはましであろう)。

結果、グッズは山積みとなり、とてもグッズに申し訳ない感じになってしまった。

だからと言って捨てられるかというとちょっと違う。やはり人間であるため、好きなキャラクターが印刷されていたグッズをそのまま燃えるゴミや燃えないゴミに捨てるのは気が引けるしやりたくない。

そう思った人間は売ったり譲ったりということをしていくのだろう。ブックオフに人が絶えず、メルカリやヤフオクツイッター間での交換取引が盛んなことがその証でもある。

実は私といえば買ったものを一度も手放したことはなく、同人誌でさえも一〇年近く売っていない。しかし、先ほど述べたとおりに収納と床は有限だ。

そのため、流石に未開封のグッズ等は整理整頓のために売りに出さなければならなくなってしまった。せっかくお金をためて買ったというのに、心が苦しい。

グッズを買う際は買ったときの幸福のみを考えるのではなく、その後手放すときのことも考えようと反省をした。

しかし、前向きに考えると厳選されたものだけが部屋にある状態であれば、物の多さに心がざわつくことも少ないだろう。

同じ絵柄のものは買わない、すでにある生活雑貨系のグッズは買わないと決めていたが、それでも増えてしまっているのは少し立ち止まって考える必要があったのだ。

そんなわけで、本当に部屋が汚い。部屋が物であふれている。消費主義の一室になっている。これではゾンビ映画フリーク失格だと思う。さあ、整理整頓して最強の部屋めざすぞ。